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西山恭申
鳴き砂

世界各地の砂漠や海岸に「鳴き砂」の存在が知られています。石英が主成分の一見何の変哲もない普通の砂なのに、その上を歩いたり、手で掻き寄せたりして力を加えると楽音を発する不思議な砂です。マルコ・ポーロの「東方見聞録」には雷鳴のように轟く砂漠の記述が見られます。鳴き砂は非常にデリケートです。少しの汚れでも楽音を出さなくなります。
まぼろし

最近、青空や虹、夕焼けの色が鮮やかになって来ているように感じています。自然が作りだす光の造形・幻影に出会うと、いつも幸せな気分になります。虹は虚像なので、そこには何もないまぼろしですが、映画のような投影された映像は光が集まってできる像なので実像になります。
難解な映画ですが、「インセプション」(クリストファー・ノーラン監督)の中では、夢の世界を現実のそれと同等に扱っています。ブラックホールの研究から生まれた「ホログラフィック原理」によると、「この現実世界にあるモノ・コトのすべては、どこか遠くにある二次元平面に書き込まれた情報(デジタルデータ)の投影にすぎない」と表現されます。私たちの存在する世界は、まるでスクリーンに投影された映画のような幻影にすぎないという、常識を超えた絵空事のような仮説です。量子論の登場は、いくつもの常識を覆してきました。空間に実像を作るホログラフィー技術がもっと進歩すると、幻影は現実になるかもしれません。
光
「光」は人智を超えた不思議な存在です。光の速度不変性と二重性の発見は1905年(奇跡の年)。五感の延長からの自然観に大変革が起こりました。芸術表現にも抽象画が現れました。不思議な光の二重性の視点から、点描は粒子像としての表現で、カラーフィールド・ペインティングは波動像としての表現のようにも見えてきます。さらに、キュビスムの図と地の等価性なども、時間と空間を同等にあつかう新しい時空観の現れのようにも思えます。
光学現象には、ダ・ヴィンチやカラヴァッジョ、フェルメールも強く魅かれ、ニュートンやゲーテも科学的な研究に没頭しました。21世紀の今も、絵画の主役は不思議な光です。
芸術はこの世界を作っている光や重力の場の性質に依存していると思います。自然の中に偶然見つけた感動を人為的に形にする行為がアートになるのだと思います。何らかのルールによってメジュームから作られたオブジェを、広い意味でのアートと考えています。









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